高橋・別子鉱山住友私立病院の、写真



2枚の住友別子病院の絵葉書がある。 良く似た建物である。下は、東平に在った病院である。
では、上の病院は、 ?
田邊一郎氏の、絵葉書展がありました。話題になったのが、上の絵葉書の病院でした。
明治20年代の、目出度町の住友病院の写真は、かやぶき屋根である。 それ以前とは、思えない。
結論として、明治32年の大水害の後、高橋へ移設された住友私立病院だろう。

 病院の、後方に電信柱が見える。
明治23年 新居浜・別子間に直通電話架設。
明治35年 第三通銅(明治27−35)貫通・東平に選鉱場建設。
        「打除」に火力発電所・鉱山及び惣開へ送電
明治38年 住友病院・東平出張所 開設
明治45年 「端出場・水力発電所」完成 3,000Kw
大正 5年 採鉱本部を、東延から東平は移転

 病院の後方に、建物はほとんど見られない。電柱は、電話線ではなく、電力線だろう。
病院手前に鉱水路が見える、東平には無い。右下、石垣に、排水口が見える。

 曽我氏と出かけた
100年以上前に、撮影されたと思われるポイントで、見比べています。
私たちは、現場主義です。

 
 対岸より、病院跡を望む  病院への橋が架かっていたようだ。 場所は、ダイヤモンド水の手前です。


 絵葉書とほぼ同じアングル。



 病院跡から見た写真。対岸から橋が架かっていた。草木が取り除かれ、基礎部分が良く見える。



 絵葉書の、右端部分の 石垣。


 下から見た排水口


 病院玄関口の煉瓦 基礎はレンガ ?


 病院手前の角部分
玄関入ってすぐの謎の門柱?と、何に使われたのか判らない煉瓦で出来た穴



病院 裏側から見た敷地
 このうえに、病院本体と、医師の住居・入院患者の食事を作ったりしていた棟の2棟があったようです。



 簡単な図面にしてみました。